(彼|彼女)の主張には背景がある

空中キャンプさんの文章が好きです。
読んだその時々で、ふんふん、そうだよねー、なるほど…などと胸にしまって仕事に出かけたり寝床に入ったりしています。

5月21日の文章、たんすをどこに置くのか - 空中キャンプを読んで、しばらく前から感じ始めたことが自分の中で言語化されたので、書いてみます。


このときの文章では、「新居の内装や家具の配置などで意見が合わなかった」話が取り上げられています。
そして、

たぶん他人ってよくわからない要求をしてくるし、理解しがたいこともあるけれど、それをどうにか許容しなくちゃいけない。

と綴られています。

私もそう思ってました。今でも、前半部分はそう思います。ただ、後半がちょっと変わりました。こんな感じ。*1

たぶん他人ってよくわからない要求をしてくるし、理解しがたいこともあるけれど、その背景を聞かせてもらうことができれば、よくわからない要求が、相手にとって自然な要求って腑に落ちるかもしれない。そして、よくわからない要求をしてくるなあって最初に思ったってことは、そう思うだけの自分の背景が実はあるのだけれど、それを相手に丁寧に伝えられれば、相手も腑に落ちてくれるかも。そしたら、どっちかが溜める感じにはならないかも。

たとえば、ふたり暮しをはじめるとなって、ソファを置く場所の意見が分かれて揉めたとします。片方のうちどちらかがどうでもよかったらそもそも揉めないので、こんなときはどちらもが置く場所について、何らかの思いを持っているということです。
で、そういうとき、ふたりそれぞれ、思いの「背景」ってものが心のどこかにあると思うのです。友達の新居に遊びに行って幸せそうでそのときの配置が心に残っていて私も…と思っただとか、子供のころわびしいソファが居間の端っこにあっただけなのでいずれはと思っていただとか、2ちゃんねるのインテリア板で読んで実行してみたかっただとか、とある映画に出ていてかっこよかっただとか、通販生活のかっこいい写真って大抵この配置だからだとか。具体的に思い当たる節がまったく無かったとしても、もうすこし記憶を広げてみれば、あるかもしれない。親に整理整頓を煩く言われていてその反動で主要な家具は部屋の真ん中にデンと置きたいのだとか、端っこから詰めるのが好きだったりとか、かっこよくみせる経験則として置く位置の比率的なものがあってこの部屋だとこのあたり、だとか。あ。あとこういうこともありうるかな。キミの言うことが先走りすぎててストレス溜まってきていちゃもんをつけたくなったとか、仕事で疲れていて相談されるのがうっとおしいので実はあまり根拠ないけどこの場所って主張しつづけたり、とか。


そういうことをさらけ出せあえれば、どういう結論にしても、溜まるものがだいぶ減るような気がします。


恥ずかしくてお互い言えない・言ってもらえないってことはあると思うし、背景を言語化するなんて悠長なことやってらんねー、言葉にしてもらうの無理だーってこともあるでしょうけどね…。


難しい。


あと、揉めたとき以外にも、行動には背景ってあるのだろうな、って思います。
いつもは夜もご飯を炊いている彼女が雰囲気を変えてパンと主菜副菜スープを作っていて、その理由を聞いても特にないって言い張ってるとき、前日の仕事帰りに寄った本屋で今日の料理ビギナーズを立ち読みしたのが原因だったりとか、ね。*2

*1:空中キャンプさんの文章に乗っかるのは正直申し訳ない気分ですが…

*2:フィクションです